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    欲しかったのは自分の人生

    • 2016.11.05 Saturday
    • 02:02

    おもしろい記事を拝見しました。

     

    「働きマン」を読んで育ったアラサーがいきなり「タラレバ娘」を突きつけられても困るっていう話。

    アラサーの半径5m その3|note(ノート)

    https://twitter.com/eu_calyptus2/status/793795434577661952

     

    あーーーそうそう!これこれ!わかるわかる!!てなった。

     

    お勉強もがんばれ、女子も自立して生きていけるような仕事を持てって煽られて、

    その中で自然にそこを選んでやってきて、10年たったら突然はしごはずされる感じ。

    「勉強も仕事もがんばった上で女子力高めでキラキラ輝くのが唯一のゴール」とか無理ゲーすぎませんか、と。

     

    私の場合わりと小学生の頃から「一生できる仕事を持て」と育てられたので

    半ば刷り込みのように「自分が多少なりとも好きで、一生一人で食っていけるくらいの仕事を見つけなければいけない」てずーと思ってきた。

    親のせいとかは思わないし、結果的にはよいことだったとは思うのだけど、

    30前後になったときの「次は結婚だね!」的なオーラには閉口したもんです。

    (結局好きなようにしかやってないし、親のプレッシャーの嵐も一通り過ぎ去って、さてどうしようかというフェーズなのでもうだいぶ気楽だけど、まじめな人はつらいだろうな〜と。

     

    で、なんでこの道に行ったんだっけ?て思い出してた。

     

    学生の頃フランスに遊学しておりまして、大学卒業時に「フランスに行って結婚するか、日本で就職するか」みたいな二択を迫られたのですが、

    どうしてもどうしてもどうしても、社会人経験のないまま誰かと人生を共にするって決断ができなかった私。

    その根底にあったのはなんというか

     

    「自分で歩ける人生がほしい。自分で立ってからどっちに行くか決めたい」

     

    みたいな、まさに親から刷り込まれたかもしれない(笑)強い自立心だったのです。

    人に寄り添うのではなく、先に自分の人生が欲しい。その上でしか人との生活なんて考えられない、て強く思った。

     

    そのときはそれがエゴのように感じられてすごく落ち込んだりもしたけど、

    なんというかもう、そういう性質の人間だったんだな、て今となっては諦めたりもできるから人生不思議なものです。

     

    そういう風に、人の性質や人生なんて千差万別十人十色なのだから

    社会が個人の生き方や趣味に口出しして「これしかダメ!これしか幸せじゃない!」みたいのがおかしいのだよ。

    老若男女問わず、そういうのがなくなったら、同じ状況でももちょっと生きやすくなるんじゃないかなあ。

     

    もっといろんな人生があっていいし、もっと人生楽しくあるべきなんだよな。

     

    かわいくてもかわいくなくても、お金持っててもそこそこでも、家族がいてもいなくても。

    "自分は自分の人生で楽しいわ"てみんなが思えるような世の中になってほしい、と願う秋の夜更けでした。

    どこにでも居てもいい

    • 2016.02.13 Saturday
    • 21:03
    「東京は向いてない」って言葉をTLで見かけた。
    「向いてる」て思いながら生きていくってとても幸せなことだよhなあ、て自分のことを思い出したりしてしまったのでつらつらと。

    「どこにも居場所がない」みたいの若い頃は誰しも考えがちなんだろうけどご多分にもれず私もそうだった。
    いつだって友達はいたけど、中学高校の頃って普通からはずれることがどこか怖くて 「思っていることを全部言っちゃいけない」みたいな気が勝手にしていた。

    東京に出てきてそういう遠慮みたいのがなくなったのは、本当にいろんな人に会ったからだと思う。
    特に夜遊びしてて知り合う勢は仕事も大学も社会的なことなんかなに一つ関係なく「おもしろい奴かどうか」「かわいいかどうか」みたいな単純な基準しか感じないのがとても心を楽にしてくれた。

    それでも大学の子達の内輪ノリ大好きな感じやなんかにどうしてもなじめなくて「わたしの居場所ってどこなんだろう」って考えに追い詰められて
    大学を休学してフランスなぞに自分で行くって決めたはいいけど今度は自分が築いた友達の中の居場所がなくなるのかなってひどく怯えたりした。
    (今考えるとずいぶん勝手な話だけど)

    しかしまあ1年フランスに行って帰ってきても、周囲が変わらず「あーおかえりー」くらいのテンションで迎えてくれて
    自分の居場所が不在の間もそこにあったんだ、てことにびっくりして、それでもういいやってなった。

    どこにも居場所がないって感じてたけど、どこにでも居てもいいってことなのかなあなんて思ったりした。
    たぶん一つの場所に属して根を張ってがっちりやっていく能力はないんだけど、その代わり好きなところに、どこでも居させてもらってるのかな、と。
    大人になるって楽になることだなあってつくづく。

    まあ自由になりすぎていつまでたってもフラフラしているきらいはあるけど、
    さっき感銘を受けたリプライのように no where = now here てことだと思って今日も生きてまいります。

    春の理不尽

    • 2015.04.09 Thursday
    • 23:54
    えっと、会社が嫌いだとか、疲れる超えて最近虚しいとかそんな話じゃないですよ?

    卒業、入学、新学期、新生活。
    ついったーを見ててようやく「あーもうそんな季節なんだなー」と気づくような私は、
    同じ一年を過ごしているはずなのに、学生の頃とは違ってなんの区切りもなく連綿と続いていく毎日に、なんとなく飽きたりしているのかもしれません。
    (とくに私は年度末が12月なので4月だからなんだ、というのはここ10年くらい経験していない)

    そんなうだうだした心境の中、新中学生の娘さんがいらっしゃるフォロワーさんが書いてらした、
    公立中学あるあるな不思議な校則の数々に頭をかかえるお嬢さんのお話に、理不尽に初めて対峙したときの気持ちを一気に思い出して新鮮な感じがしました。

    そうそう。小学校までって「理不尽な規制」を押し付けられることってあんましないですからね。
    中学校っていわゆる年齢差だったり、競争だったり、規則だったりに囲まれた「社会生活」のスタートだったりするわけです。

    「標準服」という名前の制服、「清潔」でいなければいけないとされる髪型、「危ないから」という謎のマフラー禁止 etcetc...
    高校に入ってからもスポーツバッグがあるのになぜか持って行かなければならないとされる学生鞄の謎やらなんやら枚挙に暇がありません。

    いわゆる不良でもヤンキーでもなく、どちらかというと品行方正(に見せかけた悪いことはばれないようにやる)、
    成績優秀なかわいこちゃんだったのですが、理不尽なことにどうしても納得がいかなくて、

    「だってスカートは短い方がかわいいし!」「だってお化粧してるほうが私かわいいし!」

    とか思いながら本気で文句を言われない範囲で好きにやってたのですが、
    そんな中でもああほんとうに理不尽だなあって思ったのは

    「長い髪の毛を括らずに下ろしているのはふしだらだ。清潔にしろ」て怒られたとき、
    (「え!私毎日髪洗ってるので清潔ですけど!」て素で言い返した)

    水色のゴムは派手だからと上からバレーボールを打ち込まれたとき、
    (「校則にそんなこと書いてないし!先生は髪がないから悔しいのですか?」とひどい反論をして先生の方を傷つけてしまう)

    メイクをしてる私の横にいるせいで目が大きい友達が「お前もか!」て頭をはたかれたとき、などですかね。
    (動揺しすぎて「は!?この子が目が飛び出てるのは生まれつきです!」と失礼すぎる反論をしたと今でも怒られる)

    おっきくなってから思うのは、そういう理不尽に対する態度って別に若いから腹が立つとかなんとかじゃなくて、
    「へーそうなんだ。わかりました!」て言える人間と
    「え?なんでこれはこうなの?意味なくない?道理としてはこうなってないとおかしくない?」などと考えてしまう人間がいるってことです。

    「へーそうなんだ!」て言える人たちがなんともmaking life easierに見えて羨ましく思う気持ちがないと言ったら嘘になるけど、
    そのぶんきっと、自分がほしいものやしたいことがはっきりとあって、そこに向かって近づいて行ける訓練をしているはず!

    て思いながらまだ紆余曲折迷い道くねくね、この先なにがどうなるかまだまだ読めない社会人10年目の春でございました。

    浮いてる、と居場所の話。

    • 2014.09.16 Tuesday
    • 01:58

    「昔から共同体に対して所在のなさを感じるタイプであった」
    というツイート(https://twitter.com/shinobuk/status/511511618698489856)を見かけていろいろ考えてしまった。
     

    どこにいても「浮いてる」て感覚、私にもあったなあ。

    小学校も中学も普通の公立の学校で、いろんな子がいたからこそ「まわりから浮いてはいけない」てすごく強く思っていた。
    普通に明るかったし仲の良い子もたくさんいたしすごく楽しかったし、今でもそういう環境で育ってよかったなあって思うんだけど、
    心の中では「自分が考えてることをこの人たちに全部言ってはいけない」て思っていた。

    高校や大学はまたちょっと雰囲気が違って、すごくいい子が多くて、向上心が強くて、前向きで、どこか馴染めなくて、
    自分と同じような道を選んできた人たちとでさえ、マジョリティな感じにはなれないんだなあって思ったりした。
    (大学なんて片手で数えるくらいしか友達できんかったしな)

    初めてそれを感じなかったのが夜遊び業界だったのかも。

    浮くとか浮かないとかじゃなくて、社会的な属性でもなくて、「おもしろい」か「おもしろくないか」かの一本勝負で、
    それがほんとにみんなが『誰でもどうでもいい』ところがとても好きだった。
    素性なんて知らなくてもいい人だな、て思えば楽しく一緒にいられて、約束なんかしなくてもそこに行けば誰かがいて、そういう場所があることが私を楽にしてくれた。

    「どこかの共同体の人」になりたいとずっと思ってきたのだけど、
    きっと一生なれないんだろうな、その代わりにきっと「どこにいてもそんなに不自然じゃない人」でいられればいいや、思えたのかも。

    大学を休学してフランスに行くってときに、そんな自分が勝ち得た居場所が1年経ったらもうないのかも、てすんごい不安になったのも懐かしい。
    「そんなことあるわけないじゃん。変わらないよ」て周りに言われても、今生の別れくらいの勢いで否定しまくって悲しんでた。
    戻ってきたらなんのことはない、それからもう何年だ。
    寄り添ったり少し離れたり。好きな場所がなくなったりしながらもそういう心地よい感覚は不思議と変わらない。

    社会人になってからはこれがまたちょっと変わってきた気がしている。

    仕事さえきっちりしていれば、(まあ職場にもよるんだろうけど)「あの人はああいう人だから」て許してくれる度合い高い気がする。
    どこでもそれなりに気楽に働けたし、どこででも仲の良い人ができたのがすごく救いだった。
    だから、最初はすごい大変だし嫌な奴もいるだろうって思ったけど(実際いるけど)転職もそういう意味では怖くなかった。

    きっと社会人は学生よりも同質性がうすいから、たとえ浮いていても
    「あの人はそういう人だから」て思ってもらえたらそこが居場所になるのであろう。大人になるってすばらしいね。

    ようは居場所って世間との関わり方でいいのかなって思う。
    地に足つけてマジョリティの人と歩幅を合わせるでもよし、
    一歩足抜けてふわふわと漂うように関わっていられればそれでもよい。
    そういうときの世間は『自分が居て心地の良い場所=居場所』でなくてもよくて
    『生きていくために居なきゃいけない場所=居場所』として心地よい関わり方を見つけられたら気分よく生きていけると思うのだ。

    消去法でパリ

    • 2014.01.28 Tuesday
    • 22:53
    @shinobuk さんのブログを読んでた。

    人生29歳変動説
    http://kakiwo.exblog.jp/19394679/

    こういう話って基本的には厄年と同じで、それくらいの年齢になにかしらおっきな出来事があるもんである。
    というか、畢竟、人間は大台と言われる年齢を前にあがきたくなるもので、ゆえに「転機」みたいのがそれくらいの歳だ、というだけの話なのでは、
    と思ってしまうたちなので「おお29!」「おお32!」とはならない、かわゆくない感覚を持っている私ではあるのだけど。

    じゃあその転機ってなんぞや、という話をすると、それってけっこうちっちゃい偶然みたいなことの積み重ねだったりするんじゃないかと思っているわけだ。

    ここ15年くらい私が唱えているのは運命論ならぬ、人生ラフティング論でして。

    大学生になったばっかの頃、大学がつまらなくてつまらなくてしょうがなくて、唯一の友達と言っても過言ではなかったさっちゃんと

    「何か流れがきたときにそれに乗っかっていけるのも一つの才覚だよ。
    それに耐えうるだけの気力、体力と、判断を誤らないだけの判断力、それを養っておいて、その流れに乗っていけばいいのさ」

    なんて話を繰り返し繰り返し(ほら友達いないからね)したものです。

    で、その嫌気が高じて大学二年終了後に一年休学し、彼女は世界一周の旅に出て、
    私は、と言えば中学生の頃からなぜか行きたくてたまらなかったニューヨークに行こうと思ったら、
    9.11のわりとすぐ後だったので「ニューヨークだけは行ってくれるな」と母親に泣かんばかりに訴えられたので
    (余談ですが父親には休学してフラフラすることをずーと反対されて喧嘩ばっかりしていましたが)

    「えーでもどっか行くならそんな田舎には行きたくないよなあ。
    そもそも英語喋るのにイギリス訛にもなりたくない(失礼。今は好きよイギリス英語)からロンドン却下でしょー?
    んーどうせなら言葉が喋れない国の方がおもしろいのでは?
    てことはヨーロッパか?
    そして暮らすならご飯がおいしい国…じゃあドイツはなしだよなあ。
    イタリアかスペインかフランス…んーこの中だったら一番都会はやっぱフランスかなあ。じゃあパリでいっか!」

    と消去法で決めた行き先、パリで過ごしたことが巡り巡ってフランス系の会社なぞでもう10年近く働いているという不思議!

    いやほんと、そんなもんですよ。人生。


    上記田口ランディさんによると32歳も「転機」だそうなので、今年もなにかあれば流れに乗って参りたいと思います。
    流れがなかったらそろそろ動かなきゃいけないのかもなあ自分で、なんて思いつつゆるゆると。はい。

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